メッシをよく知らないあなたへ…いまさら聞けない天才ストライカーのキャリアを振り返ってみる

4月23日に行われたレアル・マドリード対バルセロナ、通称『クラシコ』で2得点を挙げてチームを3-2での勝利に導き、バルセロナでの通算ゴール数を500としたレオネル・メッシ。557試合で500得点、1試合平均で0・86点という驚異的なペースでゴールを続けるアルゼンチン代表ストライカーのキャリアをたどってみました。

メッシを語る上でのポイントを4つに整理してみました。

なぜアルゼンチン人のメッシが、スペインの名門・バルセロナで育ったのか?

アルゼンチンのロサリオという街で生まれたメッシですが、その家庭は決して裕福ではなかったそうです。5歳でサッカーを始め、8歳のころにニューウェルズ・オールドボーイズというアルゼンチンの名門クラブに加入します。そこで才能の片りんを発揮していたのですが、10歳のころに成長ホルモンの分泌異常という病気が発覚します。身長が120センチ程度から伸び悩んでいたそうです。これを治療するためには、ホルモン投与の投薬治療が必要となるのですが、これには月額で900ドル(当時のレートで約11万円程度)のお金が必要でした。当然貧しい家庭にはこの代金を出す余裕はなく、ニューウェルズも支払いを拒否したそうです。
しかし13歳の時に転機が訪れました。スペインのバルセロナへ渡り、入団テストを受けたのです。バルセロナと言えば、世界一の育成組織を備えた名門クラブ。当時、13歳のチームの監督を務めていたカルロス・レシャック氏は、メッシのプレーを一目見て「紙の切れ端でもなんでもいいから持ってきて、早くあの少年と契約しろ!」と叫んだという逸話が残っています。そのレシャック氏はのちのJリーグ・横浜フリューゲルスの監督も務め、当時高卒1年目の元日本代表MF遠藤保仁(現ガンバ大阪)を、いきなりレギュラーに抜てきしています。若い才能を見つける目に優れていたのかもしれませんね。
そうしてバルセロナに入団が決まったメッシは、家族でスペインに移住しました。投薬治療の結果、170センチまで身長は伸び、17歳でプロデビュー。そこから一気に世界トップのプレーヤーまで駆け上がり、現在(2017年)に至るまでバルセロナひと筋でプレーしています。子供の頃の自分を救ってくれたクラブへの感謝の気持ちを、今も持ち続けていると言われています。

メッシってどんなプレーヤー? プレーの特徴は? 誰か似ている選手はいる?  

メッシは左利きで、柔らかく細かいボールタッチのドリブルと、正確なシュート力が武器です。単純なスピードももちろん速いのですが、ボールを持った時のスピードは他選手を寄せ付けません。さらにボールタッチが細かいため、DFが集まるゴール前の密集地帯でもスピードが落ちないのが特徴ですね。ポジションはデビュー当時は右サイドでの起用が多く、右から中央へのカットインを得意にしていました。現在は最前線のFW、トップ下を務めることが多いです。決して運動量が多いわけではなく、守備での貢献度も高くはないのですが、ふらふらと相手がマークしにくい場所に移動してボールを受けると、一気にスピードアップしてDFを置き去りにするというプレーが得意技です。

デビュー当時は同じ左利きで小柄ということで、マラドーナ2世といった呼び方をされましたが、近年では母国の英雄を上回る活躍を見せていることもあり、そう呼ばれることもなくなりました。逆にメッシ2世と呼ばれる選手が多くなってきました。ユベントスで活躍するアルゼンチン代表FWパオロ・ディバラ、バルセロナの下部組織出身で現在はACミランでプレーするスペイン代表FWデウロフェウ、日本でもFC東京の久保建英も「日本のメッシ」と呼ばれています。

メッシのライバルは?

メッシのライバルと言えば、やはりレアル・マドリードのポルトガル代表FWクリスチアーノ・ロナウドでしょう。リーガ・エスパニョールでも毎年のようにバルセロナと優勝を争うレアルのエースとして君臨するロナウド。メッシとロナウド、どちらが世界一のプレーヤーか、という論争は世界中で繰り返されていますが、未だに答えは出ていません。サッカーの世界最優秀選手に送られるバロンドールも、2007年のカカ(当時ブラジル代表)を最後に、2008年から9年間、メッシとロナウドのふたりが受賞し続けています。(08、13、14、16年がロナウド、09、10、11、12、15年がメッシ)。

またメッシがプロデビューした当時、バルセロナのエースとして君臨していた元ブラジル代表ロナウジーニョも、ある意味ではライバルと言える存在だったのかもしれません。当初は世界ナンバーワンプレーヤーとして、メッシにとってもピッチ上では兄貴分のような存在だったロナウジーニョ。しかしメッシが台頭し、どんどんとバルセロナでもその存在感を大きくしていった一方、ロナウジーニョは夜遊びなどピッチ外の行動が問題視されるようになっていきました。そしてエースの座をメッシに奪われ、2008年にACミランへと移籍しました。メッシにとっては、チームメートであり、兄貴分でもあるロナウジーニョからエースの座も奪い取ったことで、さらに存在感を高めていくきっかけにもなりました。ロナウドとロナウジーニョ、チーム内外のライバルとの争いが、メッシを世界一を争うプレーヤーへと押し上げていく原動力になったことは間違いありません。

メッシに足りないものは?

ではあえてメッシに足りないものと言えば…。サッカープレーヤーとしては歴史においても並ぶものがいないほどの活躍をみせていますが、アルゼンチン代表でチームを優勝に導けていないという点でしょう。2006年のドイツ大会、10年に南アフリカ大会はともにベスト8で敗退。優勝を期待された14年のブラジル大会でも、決勝で敗れました。さらに16年のコパ・アメリカでも決勝で敗退し、またも国際タイトルに届かず、一時は代表引退をほのめかしました。これがマラドーナや大統領も撤回を懇願する世界的な騒動に発展。結局、引退は撤回しましたが、過去4度のバロンドールや、4度のチャンピオンズ・リーグ制覇など数多くのタイトルを獲得している男にとって、母国・アルゼンチンにタイトルをもたらすということは、唯一のやり残した仕事と言えるかもしれません。

6月24日で30歳を迎えるメッシ。ここから衰えて世界一の座を次のプレーヤーに明け渡すのか、それともまださらなる進化をみせるのか。すでにサッカー界の歴史に名を刻んでいるレオネル・メッシの今後にも注目していきたいですね。